方法としてのマラソン

方法としてのマラソン
Photo by Steven Lelham / Unsplash

1 授業で学んだマラソンの方法

 授業を始める前に、私は体を動かしたかっただけで、ぼんやりとジョギングをしていた。徐々に1キロずつ距離を上げていたが、フルマラソンほどの距離なんて走りようもないと思っていた。授業でマラソンの方法を身につけることができた。方法があれば、残るやるべきことは実践しかない。心強くなってきた。最初に印象に残っていたのは1時間走ればフルは完走できるとのことだった。それからペースという変数を抑えれば完走はできる。その時わかってきたのは、走ることに関わるパラメタを調整する意識だった。単純な物理問題で、速度を時間で積分すると距離になる。時間を犠牲したら、距離は満たせると導出できる。最初の適正なペースはE班だと7分半~ぐらいだったので、思ったランニングな感覚どころか、もはやウォーキングじゃないかと思った。実はマラソンのトレーニングでは一番感心したのは、速さを慣れることより、遅さを我慢することだった。しっかり遅めのペースで走るほうが土台を築き、成長につながるのだ。マラソンには、速くなりたい焦燥を飲み込んで、心の鍛えとしての方法もすごくあると考える。

 怪我は運動に伴う。だから怪我を防止するために、自分の体をケアしないといけないのだとわかった。TAさんとE班の皆さんのおかげ様で、ストレッチの技を身につけてきた。みんなとペアでやることで、互いに動作のチェックができるのがありがたかった。ストレッチはネットとかで調べれば物たくさん出てくるが、手順の動画を単純に見ながらやったら動作はチェックできないので、どうしても要領がつかめなかった。やり方は記載されているが、それを実行するための知識や経験がなかったら、うまくできないわけ。例えば身体知覚といった言語化ができないメタ知識はこの場合には必要だろう。たぶん常識を言うことになってしまうかもしれないが、スポーツ経験を積み重ねた人にとって、たとえ全く経験していない運動でもスポーツしない人より短時間に把握できるかもしれないと仮説を立てみた。練習しても要領がつかめなくても、身体知覚といった運動のメタ知識が増えるはずなので、突然悟るようになるかもしれない。

 楽に一人でできる運動だから、マラソンにチャレンジしたのかもしれない。自分の下手くそな運動姿を見せたくないのだ。こっそり自分で運動したかった。マラソンには集団の練習方法があるとは思わなかった。授業の練習会は週に2回ぐらいあり、思い切ってトレーニングをサボらないようにそれを通い始めた。みんなが集まってきたら適当に距離やルートを決めたら、走り始める。会話できる程度のペースなので、そんなガチな練習会ではなかった。ガチじゃないからこそ参加はしやすかった。練習会での会話は毎週いつも楽しみにしていた。ランニングの話題ももちろん、生活の話も自然に触れるようになった。昨今のご時世までいつもZoomの画面越しで誰らと仕事したり研究したりして、互いに顔すら滅多に見ることがなかったが、この授業では珍しく毎週リアルに目にかかり、皆さんの肌理や人柄をよく知り、馴染んできた。しかし、それはただの会話だけではなく、ちゃんと一緒にも走っていたのだった。走っていた積み重ねた瞬間は共有したからこそ絆ができたと考える。だって、みんなが完走するまでちゃんと見守ってあげたいもの。そんな気持ちもマラソンの練習にも還元したく、モチベーションが高まってきた。ランニングは最高のソーシャルイベントだと信じたい。

2 学問修行を生き抜くためのマラソン

 「もしフルマラソンは完走すれば、なんとか博士課程が卒業できそう」とこじつけて思い込みながら、走ることを再開した。週に2、3回ぐらいを走っていたのは、確か今の博士3年から7年ぐらい前の学部1、2年の頃だった。その時にランニングを始めた最初のきっかけは、日本文学との繋がりだった。日本語科を通い始め、文学を教える先生に倣い、文学の世界に潜り込んでみた。芥川龍之介は好きで、川端康成は読み切るのさえ頑張って結局難しかった。それはさておき、村上春樹の作品群を読んだ後ランニングを実践し始めた。彼は小説がもっと有名らしいが、私はエッセイ集の方が、『走ることについて語るときに僕の語ること』にもっと響かれ印象的だった。今から振り返ってみれば何が書いているかをすら完全に忘れているが笑、当時実際に走ってみたら、自分との対話や思考を整理することができ、とても魅力的に感じた。走れば心身ともに成長する、その頃からずっと感じていた。最初の1キロから始まり、やっと10キロまでも行け、息も落ち着くようになった。しかし、約1年間を継続していたが、怪我や学業などの諸事情により活動休止となった。綺麗な終わりではなかったが、その頃の自分が学部時代の中で一番スタミナがあった時期じゃないかと思う。その後は、学業や留学のためにせわしく日々を過ごしていた。ランニングは遠ざかり、走った後に空を見上げた茜色は記憶の中で眠っていた。

 フルマラソンを完走した今、「もしフルマラソンは完走すれば、なんとか博士課程が卒業できそう」と、そんな荒唐無稽なことを信じ込みながら、博士課程を苦労している。フルを走っていた時、サブ4.5の集団のおばさんペーサーたちに追い詰められ、追いつかれないようにゴールまで歯を食いしばっていた経験は今までもなかった。私はペースが遅いせいなのか、マラソンは長距離運動というより長時間運動であると考えている。最後の2、3キロはペースが落ちなくても経った時間が極端に長かったと感じていた。その時、唯一繰り返し考えていたのは、フルをはるかに超える100キロのウルトラマラソンを走る人たちがどうやって走っているの??という興味深く素朴な質問だった。マラソンはしんどい。それは一瞬ではなく、しんどさを時間での積分なのだ。それは博士課程の修行と似ているのではないか。マラソンをクリアした経験、しんどさの積み重ねた身体の記憶は、私に多少の勇気を与えてくれているはず。私はフルマラソンを走った。偉く言うならば、学部から博士課程の今は私が7年間の月日をかけて悲願を叶えたのだ、鳴呼有終の美!

3 クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的マラソン

 コロナ禍は恐怖と分断だらけの3年間だった。ゼロコロナ政策の撤廃はちょうど1年経った。約1年前、隔離期間中のウルムチ市にある団地の高層ビルが施錠されたことなどにより物理的に封鎖されており、ある日火事があった。救出は大遅れで、逃げ場のない住民たちは多く犠牲者となった。あの理不尽な惨めな火災は、明日は我が身。留学生の私は、そんなゼロコロナ政策を免れていたが、帰国できず家族を心配しており、自粛の中移民としての孤立無援の状況だった。そんな苦しく危機的な状況から転機を見出したのは、マラソンだった。

 コロナ禍の前は、私は自分の体に目を向けたことはなかった。当たり前のように、体は意思に従い、私の思い通りに使わせてくれる便宜の器官だと思うままに体を使う自由に疑問を持たなかった。パンデミックの猛威を振るう中、生政治2)を知るきっかけとなった。個人とデジタルプロファイルを結び付けるDXキャンペーンは発展していたとともに、衛生政策はそれに基づき、社会からの排除3)や行動の追跡・制限といった局面に加担した。マクロな権力のシステムにより身体の管理と監視4)が物凄く進行してきた一方、それに翻弄され、渋谷ホームレス殺害《フェミサイド》事件やウルムチ市の火事といった多くの犠牲者が出てきた。このクソみたいな世界の中で人々の、とりわけ社会的な弱者らの生の危うさがやっと認識できた。

 女性たちは先駆けて自らの体は所有していないことと気付き、それと戦い続けていた。中絶権に纏わるキャンペーンも旧優生保護法もそして一人っ子政策も紙一重で本質に同じく身体《子宮》支配権の争奪である。マラソンには女性を拒んだ歴史があった。当時には女性はマラソンを走ると不妊になりかねないなどの理由で、女性からの参加は拒否していた。1967年、当時20歳の学生だったキャサリン・シュワイツァーさんは性別を隠しゼッケンを獲得してボストンマラソンに出場した。初めての女性マラソンランナーだった。そんな辿りは私の何かしらの導きのようだった。遥か前となったゼロコロナ政策時期の恐怖さと対峙していると連想させるように、私は追跡装置《スマホ》を捨て、走り始めた。私は脱兎の如し。

 走れば体の声が聞こえてくる。身体との対話の始まりとなった。成長したり、怪我したり、そしてケアしたりするようになり、自分の体というブラックボックスを知り始めた時点から、何かが変わり始まる。このクソみたいな世界を生き抜くためには、マラソンとしての方法があるのだ。それは村上春樹、キャサリンの先輩たち 、そしてつくマラ授業で出会った皆さんに導かれ、辿り着いたフィニッシュラインなのだ。マラソンのおかげで、体に目を向けるようになり、それは生きる実感も取り戻した。せめて枯渇状態の体は生の危うさを常にリマインドしてくれるのだろう。◾️

師走日曜日、予備審査寸前の夜

1) https://zatsuneta.com/archives/003802.html 

2) 「生政治」とは人間の生が人体に関する生物学的な知を伴いながら政治の対象へと包摂されていく,統治形態の変容と,それに伴い編み出される技巧を指す. そのような空間で「弁別」を含め人々の生命に作動する〈生きさせる権力〉を「生権力」と呼ぶ.2019年以降のCOVID-19騒動で注目された言葉である。この騒動では、市民側が「生政治をもっと厳密に行え」「我々を統治せよ」と要求するという状況が生じた[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnlsts/18/0/18_179/_pdf/-char/ja#:~:text=「生政治」とは近代,生権%20力」と呼ぶ%EF%BC%8E]

3) 例としては給付金のホームレスに届かない問題。

4) 行動履歴が丸ごとわかり、公表されることや、マンションから1階に降りるのも含め、自宅以外のあらゆる場所への移動を許可・禁止するスマホが搭載する健康コード